【lecture】公開講座「Explore the Design」第1回
公開講座「Explore the Design」は、平成24年4月に開設した武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジにて行われる、広大なデザインの世界を探求しそのコアを見出すことをテーマとする講座です。昨年度までの3年間開催してきた「トップデザインセミナー」のエッセンスを継承しつつ、さらなる躍動を目指して開催します。
今年度は、2015年6月、7月、9月、11月、2016年1月の合計5回を予定しています。
講師:
津村 耕佑 氏|ファッションデザイナー/空間演出デザイン学科教授
Art director、fashion designer、FINAL HOME project 主催。
1982年三宅一生氏の下クリエーションスタッフとしてパリコレクションに関わる。1994年ファッションブランドKOSUKE TSUMURA並びFINAL HOMEを(株)A-netからスタート。パリ、ロンドン、東京でコレクションを発表。2015年に独立し、FINAL HOME project始動させる。
このほか、編装会議主催、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授、文化服装学院ファッション工芸専門課程非常勤講師、日本文化デザインフィーラム会員を務める。
1959年 埼玉県生まれ
1982年 第52回装苑賞受賞
1992年 第21回現代日本美術展 準大賞受賞
1994年 第12回毎日ファッション大賞新人 資生堂奨励賞受賞
2001年 織部賞受賞
日時:
平成27年6月12日(金)18:30-20:00 終了後に参加自由の交流会を予定しています。
会場:
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ
(東京都港区赤坂9丁目7番1号ミッドタウン・タワー5階 東京ミッドタウン・デザインハブ内)
会場は同フロアのインターナショナル・デザイン・リエゾンセンター、交流会は武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジで行います。
受講料:
1,000円(当日受付にて承ります)
※武蔵野美術大学の学生は無料(当日受付にて学生証をご提示ください)
定員:
100名(申込先着順)
主催:
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ
運営:
武蔵野美術大学企画部研究支援センター
協力:
東京ミッドタウン・デザインハブ
後援:
港区
【Archive】
「Explore the Design」とは、「拡張するデザイン」という意味ではあるが、果たして拡張するものなのだろうか。
結論から言えば、「デザインが拡張する」のではなく、「デザインにとって拡張せざるを得ない現実がある」だけなのである。
津村 氏がファッションデザイナーを志した当時、1970年代〜1980年代のファッション業界は活気付いていた。
日本は世界から注目を浴びる存在ではなかったが、三宅一生 氏などの著名なファッションデザイナーの出現により、一躍注目されるようになった。世界という舞台で、我々は何を投げかけることができるのか。
日本の伝統を取り上げたところで、驚かれない。
むしろ、日常生活に寄り添ったものや、身の回りのものの方が面白がられるという現実がそこにはあった。
ファッションというと、洋服を作り、売るという構造のことを指すことが一般的だが、これはファッションの中のアパレルビジネスという分野なのであって、ファッション全体から見ればほんの一部である。
むしろ、重要視すべきはその外側にある「ファッション性」なのである。
では、「ファッション性」や「ファッションデザイン」とは何だろうか。
デザインとは、何かの問題をどう解決すべきか、その方法論を提示するものである。
そしてそこには、万人が心地よいと思えるものでなければならないという条件が付く。
ファッションデザインとは、心地よさだけではなく、場合によっては不快であっても良いという、どちらかといえばアーティスト目線から立って、問題を解決すると同時に新しい感性や新鮮さを提案するものである。
ファッションを一つの造形物ととらえ、展覧会を行ってきた。
これは結果的に、ウレタン、パンチカーペットなどの素材の性質をリサーチとなり、現代のファッションの理解へとつながった。
本来、実現したかった理想の形や素材があったのだが、コストや生産スピード、大量生産できるかなどの関係上、入手困難な素材や良質な素材がそぎ落とされ、利便性が高い人工物に取って代わり、それが当たり前の世の中になってしまった。
我々は、その理想形の「再現」を身に纏っているにすぎないのである。
ファッションショーに出る洋服というのは飾っていて非日常を感じるものだが、その逆の、リアリティを感じる洋服の方が説得力があるため、理論上では一般的に受け入れられやすいはずである。
津村 氏が指導するFINAL HOME project。
ここでは洋服のスタイルやシルエットではなく、「ファッション」を提案している。
ex) HOME 1
→全身がポケットになっており、いろいろな使い方ができる(災害時のグッズ、クッション、防災頭巾など)
デザインはコートの形をしているが、直線構造でできており、着物などのアジア式の衣服に類似している。西洋ではポケットに「しまう」ものだが、日本の着物は帯や懐に「挟む」ものである。これは日本人ならではの発想といえる。
この作品は、「着る」という枠組みだけでなく、一つの道具としてどのように使ってくれても構わない、というコンセプトがある。
使う人が自分の生活をもクリエイションする、そのためのキッカケとなるものを提案しているのである。
[ 未来生活のためのユニフォームデザイン ]
未来のためのファッションデザインというと、「◯◯のための機能の◯◯です」といった仕組みが組み合わさって(あるいはドッキング、デコレーションして)いるだけで、面白みに欠ける。
そこで、「すべてがある」のではなく「何もない」を目指したファッションデザインを考案した。
ex) on air
→3つのパーツからできており、ファスナーでつなげるだけで衣服としての形を作ることができる
クッション性、通気性は抜群で、同サイズ、同タイプのものであればパーツを付け替え、自分だけのオリジナルの服にすることもできる。
現代の洋服とは、ある時に、西洋から図面がやってきて、家庭でも作れるように簡易化、システム化、効率化されているだけで、洋服の基本はどこにも存在しない。この固定観念が、新しいアイデアの足枷になっている。
服作りは難しい。
果たして本当にそうだろうか?
好きなようにカットラインを作り、繋げれば、誰だって服を作ることができる。
未来生活のためのユニフォームデザインでは、みんなが服を作る時代を想定して作っている。
従来の図面を取り払い、ものづくりの方法を簡単にすれば、誰でもものづくりに参加できる。
常に未完成であり、それが完成である。
そうして、デザインは何も手を加えずとも拡張していくものなのである。
また、最後に津村 氏は業界や現代社会についての独自の見解も述べている。
半年、あるいはもっと早く新しいものを開発しなければならない。それゆえ、デザイナーは表層、色を変えるなどにとどまり、枠組みから抜け出せなくなってしまう。
自分が生み出したものは何だったのか、もっと違う意味や価値を持たないのかを熟考すべきなのである。
1970年代〜1980年代ほど、ファッションに魅力がなくなったのは、なぜだろうか。
エンターテイメントはスマートフォンの中にあり、面倒なことは出来るだけ避けるようになってしまった。
最も安価なもの、最も高価なものは生き残り、その中間のものの生存が厳しいのはまぎれもない事実である。
「オシャレをしないのがオシャレ」というトレンドは数年前から見え始めた。
これはオシャレをする暇もない多忙な現代社会の象徴と言えるし、そういう人間には仕事や金が集まりモテるという不況の象徴とも言える。
それでいて、ファッションではなくファンタジックなものは好きという。
それは、アニメ、演劇、コスプレが流行していることからも伺える。
人間は矛盾する生き物なのである。だからこそ、片方をおろそかにしないためにも、「オシャレを楽しむ“場”」が必要なのだ、と断言する。