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武蔵野美術大学1/M(イチエム)は、多様で多彩な本学の取り組みや教育・研究成果を伝え、
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EVENT

【lecture】公開講座「Explore the Design」第3回

公開講座「Explore the Design」は、平成24年4月に開設した武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジにて行われる、広大なデザインの世界を探求しそのコアを見出すことをテーマとする講座です。昨年度までの3年間開催してきた「トップデザインセミナー」のエッセンスを継承しつつ、さらなる躍動を目指して開催します。

今年度は、2015年6月、7月、9月、11月、2016年1月の合計5回を予定しています。

 

講 師:
鈴木 康広 氏|アーティスト/武蔵野美術大学空間演出デザイン学科 准教授
空デ・鈴木康広
2001年 東京造形大学デザイン学科卒業
2013年度~  武蔵野美術大学空間演出デザイン学科 准教授

映像インスタレーション作品『遊具の透視法』(2001)がNHKデジタル・スタジアムで年間のグランプリを受賞。アルスエレクトロニカ・フェスティバルをはじめ国内外の多数の展覧会やアートフェスティバルを巡回。『まばたきの葉』(2003)、『空気の人』(2007)、『ファスナーの船』(2010)など、美術館のみならず公共空間へ展開する創作を続けている。2005年より東京大学先端科学技術研究センターを拠点に、メディア技術とパブリックアートを融合するプロジェクトに参加。2009年、羽田空港にて開催したDigital Public Art in HANEDA AIRPORT 「空気の港」では、展示アートディレクションを担当。2010年、瀬戸内国際芸術祭2010にて『ファスナーの船』が話題を呼んだ。2011年、浜松市教育文化奨励賞「浜松ゆかりの芸術家」を受賞。浜松市美術館での個展を中心に浜名湖での『ファスナーの船』の運航、市役所や商店街を巻き込むプロジェクトを行った。作品集 『まばたきとはばたき』、『近所の地球』(青幻舎)を刊行。2014毎日デザイン賞 受賞。

日 時:
平成27年9月4日(金)18:30-20:00 終了後に参加自由の交流会を予定しています。

会 場:
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ
(東京都港区赤坂9丁目7番1号ミッドタウン・タワー5階 東京ミッドタウン・デザインハブ内)
会場は同フロアのインターナショナル・デザイン・リエゾンセンター、交流会は武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジで行います。

受講料:
1,000円(当日受付にて承ります)
※武蔵野美術大学の学生は無料(当日受付にて学生証をご提示ください)

定 員:
125名(申込先着順) ※定員を追加いたしました。(09/01)

主 催:
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ

運 営:
武蔵野美術大学企画部研究支援センター

協 力:
東京ミッドタウン・デザインハブ

後 援:
港区

【Archive】

<Agenda>
・ アートワークとライフワーク
・ 個人の作家として「デザイン」に関わる
・ モノと映像 - 作品:『遊具の透視法(2001年)』から考える –
・ 展覧会とは
・ 誰もやっていない「気づくためのトレーニング」
・教育者として何ができるか
・記憶の記録
・作品の説明の意義 - 『現在/過去(2002年)』から考える –
・アートワークにおけるデザイン

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◯アートワークとライフワーク
武蔵野美術大学では、アートワークを通した環境デザイン、およびコミュニケーションデザインを専門としているが、現時点での自分自身の活動について言語化することに関して難しさを感じている。

今、自分が何をやっているのか、あるいは自分自身のことをどう伝えるかを考えた時、常にもどかしさを覚える。ビジョンやコンセプトと実制作のプロセスは常に矛盾をはらみ、今回話すことは、ある一面でしかないことを前提とする。

「アーティストかどうか」と問われた時、自分の認識と周囲の認識、その意味合いは多くの場合、全く異なると思っている。ありのままの自分と周囲が認識する自分、その間にある距離感を感じている人にこそ、作品制作の必要性が生まれるのではないかと思う。

 

◯作家として「デザイン」に関わる
・ アートワーク=生きていくために自主的に取り組む活動。必要となる作品を制作する技術を身につけること
・ライフワーク=生まれてから死ぬまでの間の行動のすべて。育った環境、家庭や友達など出会った人とのつながりや生活から切り離せない活動

アートワークは生きていくための技術として、自分の意思で生活に取り入れることができる。ライフワークは半ば運命付けられたものなので、自分でどうこうできるものではないかもしれない。
一見するとかけ離れたように見えるアートワークとライフワークの関係性はどんなものなのだろうか。

アートワークを通して自分自身を「デザイン」することで、その2つの関係を見つめ直すことができる。現在の社会に関わりつつ、生きている間に個人として何を成すべきかを自発的に考えること。自分の外から与えられたものに対して相即できる自己の在り方。プライベートとパブリックの間をつなぐ視点。現時点での自分自身の興味はそのあたりにある。

遊具の透視法
photo : Rinko Kawauchi

◯モノと映像 - 作品:『遊具の透視法(2001年)』から考える - 映像=「おばけ」?
視覚刺激として外部から与えられた像による視覚体験に対し、人の脳内で生まれる視覚体験(残像)に興味を持った。人の中に潜在的にある脳内の映像(潜在記憶)を引き出し、目の前にあるはずのない存在を見る、見えてしまう体験。『遊具の透視法』は、残像現象を媒介にして映像体験の本質的な部分に気づかされた作品。

地球の自転、昼と夜など、自然の超越的な力に気づくための訓練の一つの過程であった。
既に科学的に証明されたことを、生活の中で改めて発見していくプロセスは、現代においては無駄が多く時代錯誤に感じるかもしれないが、その時間を過ごすことがアートワークの基本であり、自分自身の生活や活動に影響を与え、世界の見方を更新していくことになる。

・ 地球の形をした遊具で遊ぶ
子供達の影が「大陸」に見えた
・ 遠心力を最大限生かした遊具であることへの気づき
・ あらゆる生命の源である太陽という究極のプロジェクター
・ プレートテクトニクスのように動き続ける子供達の影の「大陸」

作品の制作中に新しい発見がある。『遊具の透視法』というものの見方、自然に学び、そこに参加する方法。世界の見方を更新する作法を学んだ。

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◯展覧会とは
展覧会は今、いかなる機能をもちうるのか。死んだ作家用の仕組みなのか?と思うことがある。
作品の説明は蛇足なのだろうか。作者が、作品制作を通して何を考え、どんなことを思ったのか、あるいはそのきっかけを想像することこそ重要なこと。作品そのものから伝わらないことも含めて、コミュニケーションの発端に新たな発見がある。自分の活動についてどう伝えるのかということに関して、展覧会に不自由さを感じることがある。

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◯誰もやっていない「気づくためのトレーニング」
「上野動物園」ときいて、「下の動物園」もあるのでは?と考えていた子供時代。
子供の頃はこのような発想ができた。大人になると、「下の動物園」という発想(間違い)になかなか行くことができない。新鮮なものの見方を求めるクリエイターにとって、これが破るべき壁なのである。

一方でデザインは自由な発想ではなく、問題解決にふさわしい答えを出すためのアイデアが重要であり、社会の中のデザイナーはその報酬としてお金をもらうことができる。
その一歩手前の自分自身の問題に気づいたり、問題だと思っていないような問題に気づく訓練が日々必要なのである。

僕(鈴木康広 氏)が考える美術(特に作家側)の現代的な意味は、どこにも行き場所がない人たちにとっての生きる術を身に付けることだと考えている。したがって、行き場所や居場所が見つからない者は生きていくために、どんな活動や行動や成果が必要なのかを考え続け、つかみかけた機会に対して誰よりも努力していなければならない。

例えば、自分が何かに反応したとする。その何か(森羅万象の声)は語りかけてきているが、自分はまだ気づけるステージに達していない。だから、その何かをせめて写真、絵、言葉などを駆使していつでも取り出せるように保存しておく。
どう記録するかを模索することも自分が生きていくためのセンサーを拡張する訓練である。今はなんの役に立つかわからないが、いつかきっと役に立つ日が来るはずだと信じられる根拠のない気持ちをもてることも重要なのだ。

 

◯教育者として何ができるか
。
自発的に何かを行なう力を養うためには、日頃、面倒だと感じることや、いったん近道を覚えたら再びそこを通ってしまうといった人間の性質を意識することだ。
これが、他人が考えないことを思いつく自分になるための課題。
デザイン、アート、美術をはじめ、学問として体系化された世界を知識としてではなく、今生きる自分の視点から何を思うか。
2001年では新鮮でも2015年には当たり前というものはたくさんある。
過去につくられたものを知った時、自分がどう反応したのかを観察し、見方そのものも自分なりに考える。知識が先立つことの多い学生にとっては留意すべきこと。

自分ならではの生き方や活動をしていきたい人にとって、一般的な人間関係を育むのは極めて難しいのではないか。
就職をして会社などすでにある仕組みに組み込まれた関係性は1つのシステムである。組織に属すことなく、曖昧な関係のまま、独自の時間の中で活動を展開することで、自分自身やその関係性すらも意味をもった作品の一部と化すことがある。

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◯記憶の記録
普段の生活の中にいかに「遊び」がないか、時間に追われているかを感じる。
大学時代は時間の捉え方や活かし方が未分化だった。当時、作品として形にする方法をもっていなかったことで、頭の中の独自のニュアンスや面白さのツボを
パラパラマンガにすることができた。自分が感じたこと、思ったことを記録する技術を身につけるヒントを得た。今ではアイデアの源とも言える「無意識のメモ」と呼んでいる。
そのメモのポイントとなるのは以下の4つである。
・描いていて楽しい
=持続的に自分を観察
・他人に興味を持ってもらえる表現手法=確実に他者に届ける
・描いている中で、意外な方向性が見えてくる=発見の誘発
・文字ではなくビジュアルで表現=瞬時のコミュニケーション

一見、手間がかかりそうなパラパラマンガは、自分にとっては楽しく最もハードルの低い方法であり、また自分の性格にマッチしていた。
一人一人、合う方法があるはずなので、これについては独自に見つけるしかない。
発見するにはトライ&エラーを繰り返さなければならない。

言葉で解決せずに「こんな感じ」というニュアンスを心に留めておくこと。言葉にするととたんに難しくなる哲学的なテーマであっても、作品という不完全ながら人が見たくなる、読みたくなる「言語」を介して具現化する手応えを得た。そして、これは行なう必要性と訓練次第で誰でもできることであると信じている。

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◯作品の説明の意義 - 『現在/過去(2002年)』から考える
自分がなぜ作品を作ったのか。インスピレーションを得たのか、
クリエイターである本人が作品を制作した後に考えることは非常に重要なことである。
『現在/過去』は、生活の中で誰の役にも立たない道具だが、自分にとっては思考や感覚をオブジェ化するために必要不可欠な道具なのである。 誰のためにもならないものこそ、そのアイデアのオリジンが自分の身についているもの。ただ、この作品は、生活の中での用途はなくとも多くの共感を得ることができた。

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◯アートワークにおけるデザイン
作品が社会の中でどういった意味をもち、どんな機能を発揮しうるのか。
あるいは自然に対してどう関わっているのか。人工と自然、意識と無意識などの境界の捉え方、関係を発見するのがアートであり、それを整えるのがデザインである。

僕(鈴木康広 氏)が考えるアートワークとは、人の主観から始まり、誰も止められない行為。ゆえに、それはつねに「生まれてしまった」ものであって、良いか悪いかは判断しかねるものだ。人はどうしようもなく「作品」を生み出してしまう。
だからこそ、そこにデザインが絡んでくる。世の中に対してマイナスではない形、あるいは他者も取り込んだ上で意識的な手を入れるのだ。

直感的に、そこに何かある、何かがひそんでいるのでは?という予感をつねに働かせ、目に見えるかたちに具現化していくこと。アートワークとして自発的に世界の在り方を構想していくことで、デザインの視座が活性化し、関係性の中に主体を位置づける視点が芽生えるのではないか。僕(鈴木康広 氏)はアートワークにおけるデザインの可能性をそのように感じている。

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