【magazine】スペシャルインタビュー2020 第二回「デザイン・ラウンジと美術大学の社会連携」
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ (以下、デザイン・ラウンジ) は、2020年12月に東京ミッドタウン・デザインハブ内の拠点を閉室し、その機能を市ヶ谷キャンパスへ移行する。この機に、これまでデザイン・ラウンジにご関係頂いた学内外の方からお話を伺いながら、これまでの研究・活動を振り返り検証を行う、デザイン・ラウンジ オンライン企画「スペシャルインタビュー2020」の第2弾。
今回は、初期のデザイン・ラウンジの人気講座「トップデザインセミナー」を企画頂いた宮島慎吾先生 (本学名誉教授) より、学外に開かれた場所を持つことの意味を伺い、美術大学による地域・社会連携活動を振り返る。
《宮島慎吾|本学名誉教授 / NPO法人わらアートJAPAN主宰・理事》
■美術大学による情報発信拠点としてのデザイン・ラウンジ
――2012年、デザイン・ラウンジの開室一年目に、公開講座「トップデザインセミナー」を開催しました。デザインおよび各分野のリーダーから、「これからの日本のデザイン」を共通テーマにお話を伺い、デザイン分野の発展および醸成の場としての展開を試みる講座でした。この企画は、どのように生まれたのですか?
まず、「東京ミッドタウンという場所で、何をすれば美術大学の存在感を出せるだろうか?」と考えたのが始まりです。せっかく六本木という場所なのだから、学生のためだけでなく学外の方にもムサビに目を向けてもらうために何かしたいという思いがあり、「トップデザインセミナー」という思い切ったタイトルの講座を企画しました。
鷹の台キャンパスには素晴らしい先生がたくさんいるし、図書館をはじめとする良い施設があるけど、大学にいるだけでは「社会との関係の中でのデザイン」が見えづらい、という問題意識がありました。学外への情報発信という点においても、少し弱かったかもしれない。芸術祭や卒業制作展などの発表の場や印刷物の発行など、当時もたくさんあったのですけどね。
そんな中、ムサビが六本木という都心に拠点を構えたので、社会と美術大学の関係構築や交流を意識した企画にしたかったのです。さらに、それは単なる学外向けのデザイン系セミナーではなくて、「トップ」の方からお話を聞くという機会にしようと、少しずつ内容が決まっていきました。
《公開講座「トップデザインセミナー」 第1回 原 研哉先生(基礎デザイン学科 教授)》 (2012年)
――挑戦的な企画だったのですね。「トップデザインセミナー」は4年にわたり全19回開催され、様々な分野のゲストにご登壇頂きましたが、企画を継続する中で、変わっていったことはありますか?
社会とデザインの関係の変化と共に、少しずつ話題も変わっていきました。初期は、グラフィックデザインやプロダクトデザイン、空間デザインなどの様々なデザイン分野のトップでご活躍されるゲストにお越し頂きました。それから少しずつデザイン分野が領域を広げて、地域活性やデザイン行政、アートディレクションの第一線で活躍するゲストに登壇頂きました。デザインを軸にして、広い領域・世界へ広がっていくような感じです。
広い領域といえば、富山市長である森雅志氏にもご登壇頂いたんですよ。市長ご自身が地域デザインの実践者として、富山ライトレール (LRT) 導入をはじめとする交通政策を軸としたまちづくりを進めたことや、高齢者の健康のために街をたくさん歩いてもらうための仕掛けなどを紹介して頂きました。とても新しく面白いことにチャレンジされていることをお話頂き、当時の学生にとって素晴らしい機会となりました。
――「デザインの領域の変化」も背景にあったのですね。リピーターのお客様も多くいらっしゃいましたし、参加チケットは毎回完売になる人気講座でした。懇親会では学生たちがゲストと近い距離で話している姿が印象的でした。
懇親会も、良いものでしたね。ご登壇頂いたゲストの皆さんも懇親会までご参加頂けることが多かったので、とてもありがたかったです。ムサビの学生だけではなく、その分野の関係者やムサビ以外の学生もたくさんいて、鷹の台にいるだけでは出会えなかったであろうたくさんの方が入り交じって、デザイン・ラウンジが「新しい関係の生まれていく場」になったのではないかなと思っています。
《公開講座「トップデザインセミナー」梅原 真先生 (基礎デザイン学科 客員教授) 懇親会》(2014年)
――情報発信といえば、年に一度、デザインハブにてデザイン系の学科を中心にムサビの企画展を実施していました。2016年には基礎デザイン学科に、企画展「デザインの理念と形成:デザイン学の50年」を企画頂きましたが、どうでしたか?
《デザインの理念と形成:デザイン学の50年》(2016年) [写真:いしかわみちこ]
2016年までに、工芸工業デザイン学科と芸術文化学科、空間演出デザイン学科、建築学科などのデザイン系の学科が展示を企画していて、その流れで基礎デザイン学科が担当することになりました。ちょうど基礎デザイン学科が50周年を迎える年に、「基礎デザイン学」を振り返る展示を行うことにしたんです。
展示では、各期からそれぞれ一名の代表者に出展してもらったのですが、基礎デザイン学科の卒業生の活動の領域がとても広くて、様々なジャンルの作品が並びました。デザイナーとして活躍する人だけではなく、ホテルの社長さんになっている人がいたり。大学で基礎デザイン学を学んだ人たちがそれぞれ違う生き方をしていったことが見られて、良い機会となりました。展示だけでなく、オープニングレセプションやトークセッションにもたくさんの方にお越し頂き、嬉しかったです。ただ、当時在学中の学生も含めて、50名の卒業生と在校生が50作品を出展するという展示方法だったので、一作品ずつ出展を依頼していく行為は大変でしたね。
――展示では、基礎デザイン学の設立に携わった向井周太郎先生 (本学名誉教授) にも出展頂きましたし、宮島先生ご自身にも作品を出展頂きました。また、先生方だけでなく、当時の基礎デザイン学科の研究室スタッフの皆さんにも様々お世話になりました・・
《東京ミッドタウン・デザインハブ 第62回企画展「デザインの理念と形成:デザイン学の50年」オープニングレセプション 向井周太郎 (本学名誉教授)》(2016年)
◾美術大学と社会がつながる「産官学共同プロジェクト」について
――デザイン・ラウンジは、産官学共同プロジェクトを実施するための拠点の機能も持っていました。宮島先生は、地域・企業と大学が連携するプロジェクトを多く手掛けていましたが、ここをどのように活用をされていましたか?
まず、ムサビでは「笠間市トータルデザイン研究」と「狭山茶ブランディング」など、色々な地域とのプロジェクトに取り組んでいました。デザイン・ラウンジでは、学生を含む参画メンバーによる意見交換会や、職員の方にもお越し頂き中間報告会などを実施しました。
壁一面のホワイトマグネットボードを使ってピンナップしたり映像を流したりして、やろうと思えば色々なことができました。地理的にデザイン・ラウンジが都心にあるから便利というだけではなく、連携先・大学のどちらのホームグラウンドでもない場所として、自由なことができました。
《産学協同プロジェクト:笠間市トータル連携デザインプロジェクト 意見交換会》 (2015年)
――たしかに、そういう意味でも鷹の台から離れた場所に、ニュートラルな拠点を持っている意味があったかもしれません。
それに、一般の人が気軽にデザインの世界に入って来ることができる、入口みたいな場でもあったと思います。夏に、子供向けワークショップをたくさん実施していましたね。もしかしたら、参加した子供たちが10年後にムサビに入るきっかけになる思い出を残すというか、「デザインの種」を植え付けていたかもしれません。自分がどう生きるかは人それぞれ、各々のタイミングで意識するものですが、やっぱり小さい頃に触れていたものが、どこかでパッと芽を出すことがありますから。知性が刺激される楽しみ方は美術大学だと得やすいですし、付き添いで来て頂いた親御さんにも知ってもらえるのも大切なことだったでしょうね。
――宮島先生が手掛けたプロジェクトの中で代表的な、「わらアート」について、質問があります。「わらアート」は、稲わらで巨大なオブジェを制作するとともに、新潟県西蒲区の魅力をPR、交流人口の拡大と区民の一体感の醸成を図るプロジェクトでした。このことは、地域の課題を解決するという意味で、デザイン領域のようにも感じますが、「わらデザイン」でなく「わらアート」という名称だったのは、何故ですか?
アートと言うのもおこがましいけど、「わらアート」だと語呂が良いじゃないですか。それに、イメージの発端は「さっぽろ雪まつり」なんです。雪でオブジェを作る代わりに、岩室温泉にたくさんあるコシヒカリの藁を使おう、という発想から生まれたプロジェクトでした。もともと、日本には藁人形や、収穫祭で藁のオブジェを作ったり、大きな草履を作ったり、藁で何かを作るという風習がありますからね。豊作を祈るお祭りや、みんな太鼓を叩いたり、色々なお祭りがあるんです。そういうものの延長上にあることから、「アート」という言葉をつけたんだと思います。
《わらアート 新潟市西蒲区・上堰潟公園》 (2016年)
■六本木から市ヶ谷へ、デザイン・ラウンジの機能を移行することについて
――2020年12月に東京ミッドタウン・デザインハブ内の拠点を閉室し、その機能を市ヶ谷キャンパスへ移行します。六本木での情報発信拠点としての期間を経て、市ヶ谷は実際に社会を学びのフィールドとして捉えるイメージですが、今後の活動についてはどうでしょうか。
六本木には、美術館や賑やかなお店がたくさんあるので「人が集まる街」という印象が強いけど、市ヶ谷はちょっとそれとは違いますよね。他の大学のキャンパスもあるし、「アカデミックな街」という印象があります。じっくり組み立てていく組織や研究所など、そういう場には向いていそうですね。市ヶ谷キャンパスの1階にある無印良品の店舗へは一度行きましたよ。六本木のデザイン・ラウンジと同じにはしないと思いますが、この雰囲気は引き継いで、人が集まるオープンな場所になると良いなと思います。デザイン・ラウンジのプロジェクトに関わらせてもらって、とても楽しかったです。
――開室して間もないデザイン・ラウンジを、産官学共同プロジェクトや情報発信の場として活用して頂いたことで、社会への認知が広がっていったのではないかと感じます。
宮島先生、本日はありがとうございました。
宮島慎吾 本学名誉教授 / NPO法人わらアートJAPAN主宰・理事
武蔵野美術大学卒業。GKインダストリアルデザイン研究所を経て、1986年に(有)ケイ・プロジェクトを設立。主な仕事として、流通小売業におけるブランド開発及び商品開発(西武百貨店、西友等)。地域産業におけるブランド開発及び商品開発。北海道/オホーツクの木工商品・十勝のバッグ、地域ブランド「キレイマメ」、埼玉県/埼玉の新日本酒ブランド・高齢者の衣料品、宮城県/間抜材の利用展開・日本酒グラス、滋賀県/陶器の新領域商品等多数。さらに大学での活動として、新潟市、笠間市での産学共同プロジェクト、そして現代GP「いわむろのみらい創生プロジェクト」、「EDS竹デザインプロジェクト」及び「わらアート」(新潟市、香川県小豆島、愛媛県今治市、埼玉県行田市、熊本県阿蘇地域、北海道十勝地域、岐阜県美濃加茂市)を推進。
(文 = 武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ)
【スペシャルインタビュー2020】
第一回「デザイン・ラウンジと津村耕佑」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/07/13998
第三回「デザイン・ラウンジと学生ワークショップ」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/08/14148
第四回「デザイン・ラウンジの成り立ち」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/08/14254
第五回「デザイン・ラウンジとこれからの集まる場」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/09/14424
第六回「東京ミッドタウン・デザインハブとデザイン・ラウンジ」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/09/14544
第七回「東京ミッドタウンとデザイン・ラウンジ」
https://ichiemu.musabi.ac.jp/2020/10/14640